糸島 知志 GKコーチの紹介

「就職先が岡山県内なら、空いた時間に指導の手伝いに来ないか?」

それが、僕とHAJAXSの再会になりました。
 

HAJAXSのコーチとしてお手伝いをするようになったのは19歳の時です。

 

僕は小学2年生の時に、兄について行ったことがきっかけでサッカーを始めました。
フィールドとキーパー、両方を体験し、中学生でHAJAXSに入団した時にはキーパーを選択しました。

しかし、僕は花田GMや川原監督、他のコーチの方々のようにプロ選手としての経歴や長い選手経験があるわけではありません。

HAJAXSに入団後、試合にスタメンでずっと出られたわけではありませんでしたし、玉野光南高校に進んでサッカー部に入部してからも、控えのキーパーでいることも多かったと思います。

花田GMとはHAJAXS卒業後も高校での試合があると挨拶へ伺っていて交流はありました。ですが、長く会話するわけでもなければ、僕自身が目立つ活躍していなかったので、「卒業したらHAJAXSを手伝いに来ないか?」と誘って頂いた時には正直驚きました。

今でもどうして誘われたのかは自分でも分かりません。

自分がサッカーの指導者なんて思いもよりませんでしたが、

自分を育ててくれたHAJAXSに携われることはとても嬉しいことでした。

 

僕は現在、TAJOXSが運営する小学生のスクールと、中学生のチームであるHAJAXS、両方に携わらせてもらっています。

最近は、子どもたちの表情のちょっとした変化から心の動きが感じられるようになってきました。

 

僕も学生時代、そこまで理解力があるわけではなかったので、子どもたちをフォローする時にはできる限り分かりやすい言葉を使うように心がけています。

 

僕は他のコーチの皆さんのように、取り立てて何かができるわけではないと思います。

 

しかし、サッカーの第一線で活躍はできなかったかもしれませんが、

続けることでたくさんのものを得られることを伝えることができます。

例えば、今繋がっている友人、そして仲良くさせてもらっている先輩後輩との出会いの多くはサッカーです。

 

また、HAJAXSに入団していなければ、玉野光南高校には進学することはありませんでした。

就職に有利な地元の工業高校へ行っていたと思います。

高校の時、ずっと言われ続けた指導は「周りに気を配ること」でした。

キーパーというポジションだったからこその指導だったのかもしれませんが、それはスクール、チーム、そして就職先で大いに役立っています

 

その玉野光南高校へ行けたのは、サッカーがあったからです。

そして、玉野光南高校へ進学しなければ、当時高校の同級生だった妻とは会うことはなかったでしょう。

僕はHAJAXSを通じて、人生だけでなく、家庭まで築かせていただけたことに、本当に感謝しています。

辛いトレーニングも、選手として出られなかった悔しさも、今振り返ると全て意味がありました。

自分の限界を感じた時、途中で投げ出さなくて本当に良かったと心から思います。

 

サッカーは勝負の世界です。

そのため、全員が自分の望む結果を得ることは叶いません。

 

しかし、その中でも自分の人生にとって大切なことは必ず得ることができると思います。

 

それを得るためには、継続することで見えてくるものがあります。

 

一方で、続けることが苦しい時もあると思います。

まだまだ勉強中ですが、僕は選手たちの傍に立って、

気持ちを理解しようとするコーチになりたいし、常にそんな人間でありたいと心がけています。

 

中学、高校で選手として出られない時期があった僕だからこそ、理解できる想いがある。

それが、僕が選手たちに伝えられる強みだと思っています。

© 2017-2019   TAJOXS.Inc